担当者さまへ

ドイツ留学から帰国後、国内各地でのアウトリーチ活動を通じて、こどもたちと出逢う機会をたくさんいただく中、“求める光はそれぞれの心の中にあり、音楽や芸術にはその光を見つける力がある”ということが感じられるようになりました。音楽を一方的に届けるだけでなく生徒の皆様、先生方にも一緒に参加していただき、楽しんでいただける体験型プログラムを数多くご用意し、最後に感じたことを対話を通し共有し、人間形成に寄与します。

コンサート企画者様からのコメント

地方のコンサート企画者にとって、1回1回のコンサートは、特別です。年数回、ひょっとしたらその年に実現できる、ただ1回のコンサートだからです。ですから、いつでもどこでも食べられるファミレスのメニューのような内容は願い下げ。その時だけの、特別な、自分たちの町に合ったプログラムでやりたいのです。宮本妥子さんは、その願いをかなえてくれます。場所、対象によって内容は千変万化。時には同じツアーの中でも、別のプログラムを考えてくれます(準備はきっと大変でしょう)。でも彼女は、それをやりたいのです。1回1回のコンサートが、一期一会であることを知っているから。そうして工夫を重ねて当日を迎え、ステージで迷いのない音を響かせる。その鮮やかさといったら!コンサート企画者と思いを共有しパートナーになってくれる…それが、宮本妥子という打楽器奏者なのです。

音楽プロデューサー様からのコメント

宮本妥子さんの活動はとてもしなやかである。ドイツで鍛えた音楽への真摯さと、アウトリーチで見せる子供へのまなざし、ワークショップでの斬新なアイデアなど広い視野で活動を続けてきた。演奏家としての宮本妥子さんの美質の第一は「凜」とした打撃の音なのは間違いないが、聴き手に話しかけるときの柔らかさとの間の落差はその魅力を一層大きくしているように思える。しかし、私が一番心打たれるのは他の奏者には滅多に見られないほどの歌心である。ラヴェルの「亡き王女のためのパヴァーヌ」などを聴いてみると良い。涙が出るほどに美しい。

ホール総合プロデューサー様からのコメント 

近年、我が国でもマリンバを含めた打楽器による音楽活動やその普及には目覚ましいものがあります。そうした活動を進めてきた旗手の一人が宮本妥子さんです。海外での活動も含め、ソロやアンサンブルでの演奏会、他の楽器や他の芸術ジャンルとのコラボレーション、『地域創造』の登録アーティストとしての全国での活動、子どもたちへの教育普及、更には後進への指導とステージでのパフォーマンスを想起させる八面六臂の活躍です。グローバル化が進む社会のなかで、打楽器は、世界各地の民俗音楽、伝統的なクラシック音楽、ジャズ、邦楽をはじめとする日本の古典芸能、ダンス、演劇、映像など様々な世界との交流が可能な楽器であり、新しい創造への可能性に満ちています。宮本さんの自由な冒険精神、大胆なリズムと運動性、繊細な感性が成熟を深め、更なる創造的飛躍を期待しています。

公共ホール職員様からのコメント 

「演奏する」とは、世界の一部を切り取り、その断面を見せることだ。切れ味が鋭ければ鋭いほど、その断面は美しい。人はその美しさに陶然とし、畏れ慄く。それができる人は、芸術家である。芸術家には、迷いがない。なぜなら彼らには、全てが自明のことだからである。彼らはただ、夏目漱石が夢見た如く、木の中に埋まっている仏を取り出しているにすぎない。音は生まれる前にすでに鳴り響き、キャンバスは織り上げられる前に絵の具を背負っている。そうとしか思えないほど、彼らが産み出すものは、必然の衣をまとう。宮本妥子は、まぎれもなく芸術家である。迷いのない切っ先は鋭く、断面はこの上なく美しい。だから、客席にいる私たちの運命は、すでに決まっている。私たちに聴こえないだけで、音はすでに鳴り響いているのだ。ギリシャの人々が喝破したとおり、天球に鳴り響く、永久不滅の音楽として。

音楽プロデューサー様からのコメント 

人間には挑戦が必要な時があるけれど、多くの人はそれは向こうからやって来る。でも、アーティストはそれを自らの意思で作り出すのが宿命で、いつも大変そうだなと思うけれども、羨ましい気持ちになるのも事実である。彼女の挑戦の場合、環境への判断とともに、楽曲に向かう時の感情的な把握力が素晴らしく、うっかり巻き込まれそうになるのである。勝手なイメージをつけるとすれば、宮本さんの音楽の基礎は西洋的なモダーン(いわば現代音楽)というのにあって、それをベースに活動して居るけれども、もっと日本的な、というかシャーマニズムに近い所へのアプローチにも近づこうとしているのではないか。

役者・演出家様からのコメント

まず、私がこのような場所で宮本さまの事を書ける立場なのかなぁと恐縮したり不安を感じながら書いております。だって、、、怖いから。。。言っちゃった。しかし、この怖いという事が凄く大切だと思うのです。何事にも真摯に受け止めベストを探求する事を楽しめるひとだからこそ、こちらもストイックに楽しんでいるのかを常に見られているような怖さが心地よいのです。ここからは僕の推測で宮本妥子を勝手に解剖してみたいと思います。ミヤモトヤスコ ネコ科の動物猫なで声をあげたかと思うと爪を立てて威嚇、しかし心で泣いている。子猫になったりライオンになったりと忙しい人。だから疲れちゃうけど性分だからやめられない。本当はずっと子猫でいたい。楽しさも厳しさも悲しみも喜びも張りすぎるアンテナで全てを受け止めるが故に日本海溝の様に深い愛が彼女の奏でる楽器達から聞こえてくる。あなたのおかげでたった一音でも涙腺が緩む事を知りました。